アフガニスタンの基本情報
人口はパキスタンとイランに住む難民を含めると、約3000万人いる。
パシュトー語とダリー語が公用語だが、パキスタンに難民として渡っていた人もいるため、ウルドゥー語も通じる。
人口の99%がイスラム教徒でそれは国旗に書かれている文字にも現れている。国旗には「アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒である。」と書かれている。
『カブール・ノート〜戦争しか知らない子どもたち〜』
「平和」を知らない少年
この本には日本に住む私達が知らない世界がある。特にこの文章には平和慣れしてしまった日本人として考えさせられる。
ここでこの本で紹介されていた、10歳の少年の文章を読んでいただきたいです。
僕は、戦車、カラシニコフ、地雷を知っています。でも、「平和」というのがどんなものか知りません。見たことがないからです。でも、他の人から聞いたことがあります。
僕はたくさんの武器を知っています。ほとんどの武器は、バザールや、街や、学校の壁や、家の前や、バスの中や、その他どこでも見られるからです。
「平和」というのは鳥のようなものだと教えてくれた人がいます。また「平和」というのは運だと教えてくれた人もいました。でも、それがどうやってやってくるのかは知りません。でも、「平和」が来ると、地雷の代わりに花が植えられると思います。学校も休みにならず、家も潰されなく、僕も死んだ人を泣くことがなくなると思います。
「平和」が来たら、家に帰るのも自分の家に住むのも簡単になると思います。銃を持った人が「ここで何をしている?」とか訊かなくなると思います。「平和」が来たら、それがどんなものか見ることができます。「平和」が来たら、きっと僕が知っている武器の名前を全部忘れてしまうと思います。
たった10歳の子供が書くと思えないような文章です。「平和」は運によって決まっていいのでしょうか?
タリバンは正義だった!
(本著は2001年に出版されたものであり、現在とは異なるかもしれません)
タリバンと聞いて、ISIS(自称イスラム国)のようなテロ組織をイメージするかもしれません。僕もこの本を読むまで、そして興味をもって調べるまではそう思っていました。
タリバンの目標はアフガン人とアフガニスタンの復興であり、これはアメリカや旧ソ連によって巻き込まれて生まれた組織だということを忘れてはいけません。
だから決して自分たちの利益やイスラム教を世界に広げるとかの理由ではないんです。
メディアが伝える一部の情報よりも、その土地にあった
アフガニスタン内でも、タリバンの正体が分かるにつれ、住民は彼らを歓迎するようになった。タリバンは略奪、強姦をしない、タリバンは住民を虐めない、タリバンは秩序と治安の回復に専念する、タリバンは進出地の武装解除をする・・・・こういう情報が広まるにつれ、住民は警戒心を解き始めた。
あまりにも他人事として考えすぎてない?
マスメディアなどの外国人が伝える「事実」はとても他人事のようで観察者のようでもある。
山本がいうようにアフガニスタンやタリバンやその風習などについて、常に東洋的(=非西洋的→異質→許容できない)という主観が入ってしまっているのではないか?
日本人がクジラを食べる、どこぞの地域で「私たち」にはありえないものを食べる、宗教の決まりでこれが食べられない。といったことは第三者の生活風習に目が向かれがちだ。
僕は西洋的視点が悪いと言っているわけでなく、西洋的な視点に縛られているコトだよろしくないと思う。
実際にどこぞのシーシェパードは日本のクジラを食べる風習を否定しているけども、これは昔から続いてきたことだよね。それに戦後GHQがタンパク質の摂取源として推奨してきたことでもある。さらに言えば最近はクジラの個体数が増えすぎて、魚の漁獲量に影響を及ぼしている。
といったように、自分の視点から考えてしまうことは常に「良いコト」とは限らないでしょう?
なんだか筆者は哲学的なことが得意なようだが、本人もこの文章を書くことについて上に書いてあることのようになっていないか考えることがあったようだ。
先進国の人間として、東洋の人間として、考えなくてはいけないトコロがたくさんあるという問題提起としてふさわしいんじゃないでしょうか。
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